知らないと損をする筆跡鑑定の話 第36話





【「筆跡の恒常性」の考察】



 ■筆跡個性には、何故同じパターンが表れるのか。

  私の鑑定書では本来の鑑定に入る前に、2頁ほど「鑑定の基礎的知識」という項を置い
 て、その中でつぎのように説明しています。

 ●筆跡個性の無自覚性と偽造の限界
 
  「筆跡とは人が文字を書くという行動の結果残された「行動の痕跡」である。人には
 必ずその人特有の行動傾向があるように、筆跡にも長年かかって身についたその人固有
 の筆跡個性(筆癖)がある。その筆跡個性は習慣化され、ほぼ無自覚のうちに表出するも
 のであり、本人も自覚しない非常に微細な部分を含んでいる。
 筆跡個性は、「ほぼ無自覚性」のため、自分の筆跡を意図的に変えて
 書こうとしたり、他人の筆跡を偽造しようとしても、目についた大きな特徴はある程度
 偽造することは出来るが、微細な気がつかない部分の偽造はできない。

  また、画数の多い文字は最後まで意識でコントロールすることが困難になること、あ
 るいは、最初のうちはコントロールできていても、後半になるに従い集中力が途切れて
 しまうことなどにより本来の筆跡個性が顔を覗かせてしまうものである。
 したがって、鑑定は、一般に気がつかないような微細な筆跡個性に着目して、精密な検
 証を行うことが重要である。」


 ■「筆跡の恒常性」が筆跡鑑定の最大の原則。

  この「筆跡の恒常性」が、筆跡鑑定を成り立たせている最も重要な原則です。そこで
 今回は、これを「脳科学」の知見も引用して少し掘り下げた考察をお届けしたいと思い
 ます。

  「筆跡の恒常性」とは、何回書いてもほぼ同一の筆跡個性が表れることをいいます。
 試しに「東京都」という文字を3回ほど書いて見てください。……ご覧頂くとおわかり
 になりますように、微細な違いはありますが、本質的にはほぼ同一といえると思います。

  何故かといえば、「文字を書くという行動は、意識できない無意識(深層心理)に委ね
 られている」からです。「無意識」は脳科学の用語、「深層心理」は心理学の用語です
 が、本質的にはほぼ同じものを指しております。

  心理学で氷山が海に浮かんでいる図をごらんになったことがあると思います。そして、
 海面上に顔を出している部分が「表層心理(意識)」、海中に沈んでいる部分が「深層心
 理(無意識)」と説明されています。

  文字を書く場合に「東京都と書こう」と考えるのは、意識の働きですが、文字を書く
 具体的な行動は、無意識によって管理されています。私たちは「横画の長さはこの位 
 に」とか、「払いはこの程度に」などと考えないで文字を書いています。

  しかし、書かれた文字は、ほぼ一定のパターンで安定しています。それは、無意識 
 (深層心理)によって管理されているからです。私たちは、ともすれば、ほとんどの行動
 は意識しているように考えていますが、氷山の図が示唆するように、意識で管理してい
 るものはごく僅かで、行動レベルではほとんどが無意識に委ねられております。

  そして、文字を書くという行動は、無意識に委ねられていることから、意識しないで
 も、ほぼ安定した筆跡個性が表出するわけです。そのため、この筆跡はAさんの筆跡、
 これはBさんの筆跡と鑑定が可能になる訳です。


 ■最新の「脳科学」が教える無意識の役割。
 
  このあたりについて、最新の脳科学が分かりやすく説明してくれます。私は、脳科学
 者の池谷祐二先生の著書を愛読していますが、先生は、専門雑誌に載る、世界の脳サイ
 エンストの膨大な論文から、一般人がわかるように貴重な情報を整理して教えてくれま
 す。

  池谷祐二先生のことはご存じの方が多いでしょうが、若手の脳科学のエースといって
 も良いかと思います。ホームページに興味深い情報がありますから、よろしければご覧
 ください。 http://gaya.jp/ikegaya.htm

  池谷先生は、「無意識を知るための実験には、どのようなものがありますか」との質
 問に対してつぎのように答えています。(『ゆらぐ脳』文芸春秋)

  「最近の代表的な研究をいくつかご紹介しましょう。サブミナル効果というものがあ
 ります。瞬間的な画面に映し出されたメッセージが、当人には「見た」という実感をも
 たらさないものの、その後の行動や感情に影響を与えるという現象です。 
 
  ロンドン大学のペジグリオン博士は、サブミナル画像を見たと時、脳がどう反応する
 かを調べています。博士は、ゲームを用いて実験を行いました。各ゲームの開始前に1
 ポンド、あるいは1ペニーといった「賭け値」が提示されます。この金額にゲームの得
 点を書けた数値が獲得金になります。
 
  もちろん、1ポンドのときにより気合が入ります。モチベーションが高い時、脳では
 線条体が強く活動していることがわかりました。
 
  次に博士は、賭け値をサブミナル映像として表示してみました。被験者は「賭け値が
 わからない」と嘆きますが、脳を見ると1ポンド時のほうが線条体がより強く反応して
 いて無意識のうちにゲームへの意気込みが高まっていました。
 
  実は、線条体は「直感」に関係のある脳部位としても知られています。私たちはとも
 すると意識に立ち現れる、どちらかと言えば浅薄な表面情報に流されがちですが、無意
 識の脳は意識では感じることのできないヒントを環境の中から模索しています。それが
 結果として直観につながるわけです。
 
  なぜか分からないが答えが出る、そこはかとなくイヤな予感がする、ムシの知らせ、
 神の啓示……いろいろな言われ方をするけれど、直観とは無意識の脳部位が厳密な計算
 によって編み出した結論なのだと、最新の実験データは教えてくれるのです。」


 ■「意識」は作話により合理化する。

  続いて、「無意識の自分こそが真の姿である」として、イタリアのパドヴァ大学のガ
 ルディ博士らの実験を説明しています。(『脳には妙なクセがある』芙蓉社)

  「イタリアの小都市ヴィチェンツアで、アメリカ軍基地を拡張する政策に関する意見
 を市民129人に聞いています。
 
  実験とはこんな具合です。目の前のモニターにさまざまな映像や単語が表れます。そ
 こで、映されたものが「良いもの」だったら左のボタンを、「悪いもの」だったら右の
 ボタンを押してもらうのです。できるだけ素早く正確にボタンを押すのがポイントです。
 
  モニターには、是か非かハッキリわかる単語(幸運、幸福、苦痛、危険など)交じって、
 アメリカ軍基地に関係した写真が提示されます。そこで、ボタンを押すまでの反応時間
 と判断ミスの頻度を測定します。
 
  実際に試験に参加していただくと実感できるのですが、左右のボタンの選択は意識的
 にコントロールすることはできません。反射的です。ですから、その人の好悪傾向が否
 応なしに顕在化します。これが、自動メンタル連合です。その人にとってアメリカ軍基
 地が是か非かのどちらかに無意識に結合しているかを、うかがい知ることができるわけ
 です。(中略)
 
  重要な点は、自動メンタル連合に表れる傾向は、本人の意識に上がる信念とはほぼ無
 関係だったということ、つまり基地拡張に意識のうえでは好意的であっても、潜在的に
 は快く思っていないということもあるわけです。
 
  意識と無意識はしばしば乖離しています。そして無意識の自分こそ真の姿です。ここ
 で、大事なことは、決断後に、「どうしてアメリカ軍基地に賛成したのですか」と訊く
 と「現在のイタリアやアメリカの政況や外交を考えると…」などと、自信満々に理由を
 創作するということです。身に覚えのある人もいるかもしれません。」

  このガルディ博士らの実験で大事なことは、意識と無意識はこのように乖離している
 こと、本音は無意識にあり、意識は本音で選んだ結果に色々と作話をして合理化する傾
 向があるということです。そして、その作話も無意識に行っているということです。


 ■当てにならない目撃者情報。
 
  このような脳の役割を理解すると、例えば、近年、法廷でも重視されている「目撃者
 情報はしばしば誤っている」あるいは「しばしば変化する」ということも納得されます。
 また、余談ですが、私が長年研究している「筆跡心理学」の意義もご理解いただけるの
 ではないかと思います。

  筆跡心理学は、文字と書き手の隠れた性格の相関関係を研究しますが、文字には、無
 意識の本音……特に好悪感情が表れることから、書き手の真の欲求や真の人格を発見す
 ることができるのです。

  さて、本題の「筆跡の恒常性」も、このように、作為を働かすことのできない無意識
 の世界から生まれるものですから、何回書いてもほぼ同一のパターンが表れるというこ
 とになるわけです。

  しかし、ここで「それは判った。しかし待てよ、人の筆跡を模倣しようとする場合に
 は、意識も介在するのではないか」と思われるでしょう。……その通りです。つまり、
 模倣や韜晦(とうかい。自分の筆跡を隠そうとすること)の場合は「自然筆跡」とは異な
 ります。

  つまり、模倣や韜晦など作為筆跡の場合は、無意識から浮かんできた文字を紙に記そ
 うとした瞬間に、意識で調整を加えるというプロセスになります。自然筆跡よりも複雑
 なプロセスになりますから、微妙な変化があります。

  自然筆跡では、筆跡個性の表れ方はほぼ安定しています。簡単な例を挙げれば、横画
 の「右肩上がりの角度」です。例えば「東京」と書いたとして、自然筆跡では、「東」
 の横画も「京」の横画もほぼ一定の角度で安定しています。

  しかし、作為筆跡の場合は、これが乱れるケースが多いのです。これは右肩上がりの
 例ですが、筆跡個性には多くの癖があります。それら、多くの癖の安定性が微妙に乱れ
 ることが多いのです。鑑定人の私は、そのような乱れから、作為筆跡であることを見抜
 きます。


 ■「臨書」と対決して分かったこと。

  書道の一つに「臨書」という分野があります。著名な人物の書を、そっくりに模倣す
 ることです。私は、NHKの『ためしてガッテン』という番組で臨書の名人と対決した
 ことがあります。

  ディレクターが「根本さんはどんな偽造でも見破ることがではますか」と訊くので、
 「大抵は見破れると思いますよ」と答えると、実は臨書の名人がいて「私が臨書をして、
 今までに見破られたことにない」と豪語していますが一度対決して頂けませんかという。
 鉾と盾みたいな話で面白いねと応じることにしました。

  この時は、まずまずの書道の素養のあるアマチュアの方三人に集まってもらい、「筆
 跡は心を映す鏡、誰が書いたか当ててごらん」という文字を2回づつ書いていただきま
 す。合計6枚から、1枚だけ抜き出して、臨書の名人が模倣したものと差し替えます。
 もちろん、私の知らないところで行うわけです。

  さて、私のところへは、1枚だけ模倣品の混じった6枚が届きました。結果は、30
 分ぐらいかかりましたが、模倣品を特定して「めでたし」となりました。「筆」字の 
 「竹かんむり」や「誰」字のつくりの上部の斜めの画の角度などに、極めて微細な違い
 が安定して表れていたので解明できたのです。

  ということで、書道には臨書という分野があり、これらの方々は、いわば偽造と同じ
 ことを公然と訓練しているわけです。従って、訓練の程度によっては、模倣技術も高く
 なり、容易には見破れない方々も存在するわけです。

  ですから、「作為筆跡は筆跡個性の乱れが出やすい」といっても、そう簡単ではない
 ことがお分かりいただけるものと思います。しかし、鑑定書をお読みいただく先生方と
 しては、まずは、「筆跡は無意識の世界で管理されているので恒常性がある」というこ
 とを理解していただければ十分だと思います。

                                 この項終わり




 
一般社団法人・日本筆跡鑑定人協会   株式会社・日本筆跡心理学協会 
代表 筆跡鑑定人  根本 寛(ねもと ひろし)
東京都弁護士協同組合特約店
関連サイト http://www.kcon-nemoto.com

事務所
〒227-0043 神奈川県横浜市青葉区藤が丘2−2−1−702 
メール kindai@kcon-nemoto.com
TEL:045-972-1480
FAX:045-972-1480
MOBILE:090-1406-4899

筆跡鑑定・印影鑑定のご相談はお電話、メールで承ります。

メールマガジン目次へ戻る

トップページへ戻る

Copyright (c) 2012 一般社団法人日本筆跡鑑定人協会 All rights reserved.