知らないと損をする筆跡鑑定の話 第20話








【一澤帆布遺言書事件判決の意義】



  ■「信太郎、恥を知れ!あの世で兄貴が泣いとるぞ」と伯父の一喝
 
   近年の筆跡鑑定の大事件といえば、何と言っても一澤帆布遺言書事件といえます。
  この事件は、京都の有名なバックメーカーの創業者が遺言書を残して亡くなり、その
  遺言書を巡って長男と三男が争った事件です。


   実は遺言書が二通あり、最初の遺言書には、家督を三男・信三郎に譲るという内容
  になっていました。しかし、長男・信太郎から二通目の遺言書が提示され、それには
  家督を長男に譲るとなっていたのです。これが争いの原因です。一回目の裁判は長男
  が提訴したものでした。


   三男は、務めていた朝日新聞社を辞め、職人としての修業もして、赤字経営の頃か
  ら父親を助けて働いていました。その事業権が家を出て銀行マンである長男にいくな
  どということは、三男をはじめ多くの職人にとっても寝耳に水だったのです。


   一回目の裁判は、結局、最高裁まで進みましたが、長男が勝訴し一澤帆布の工場兼
  店舗は長男が経営することになりました。その時、経営権を振りかざした長男に対し、
  叔父の一澤恒三郎は「信太郎、恥を知れ!あの世で兄貴が泣いとるぞ」と一喝したそ
  うです。


   二回目の裁判は、同じ役員であった信三郎の妻が提訴しました。2008年11月
  に大阪高裁で逆転判決となり、これも最高裁まで進み確定しました。この二つの裁判
  の鑑定人は、長男側は、科捜研OBの三人の鑑定人です。三男側は、当時、神戸大学
  院の魚住教授や医者など門外漢が三人というものでした。プロが素人に負けたと話題
  になったものです。


  ■警察系鑑定は何故敗れたのか

   魚住教授はつぎのように語っています。「これまで裁判で提出されてきた筆跡鑑定
  は、依頼者の側に立って裁判を有利に導くために鑑定を行ってきたというのが実情で
  す。しかし、裁判で証拠として採用される以上、科学的かつ、客観性が必要なのです。
  今回の大阪高裁の判決はそのことを認める判決でした」(雑誌『JW』No5)


   この魚住教授の意見は、私も常々主張していることです。私は、科捜研OBの鑑定
  は技術的にもレベルが低いと考えていますが、どうして、これら警察系の鑑定人の、
  恣意的でレベルの低い筆跡鑑定がまかり通っているのでしょうか。これについては魚
  住氏は同誌の中でつぎのように語っています。


   「警察の行う筆跡鑑定は、証拠固めのために用いています。今回の高裁判決でも、
  科捜研OBの鑑定は、類似文字を目的のために集めたにすぎない、とはっきり断定し
  ています。そういう意味で、我田引水のような筆跡鑑定は通じなかったということで
  しょう。」


  ■雑誌『JW』No5の特集

   余談ですが、この雑誌は正式名は「THE JUDICIAL WORLD」とい
  うもので「司法の世界をより身近に」というコンセプトで作られ不定期に出されてい
  ます。この魚住教授のインタビューと合わせて、私のインタビューがまとめに掲載さ
  れています。私の基本的なスタンスですのでつぎに掲載します。


   「依頼者の側だけに立った鑑定書では、後々困ったことが出てきます。裁判には相
  手がいます。鑑定書を信じて闘い、裁判の後半になって相手から不利な事実が示され
  たら弁護士は狼狽してしまうでしょう。最初から不利な事実を知って対応すれば、ま
  ずまずの条件で和解できることもあります。

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   弁護士の先生方は、お仕事上、常に有利な立場というわけにはいかないでしょう。
  その場合、有利な鑑定書を求めるのではなく、正しい鑑定書によって的確な方針を立
  てられることが大切で、私は常にその方向でのご協力を考えています。


   さて、大阪高裁では、具体的に、どのような点で警察OB鑑定書が否定されたので
  しょうか。主なポイントは三点あります。まず「下」という文字です。警察OBは、
  父親の文字は第3点画が第2画から離れていると主張しました。魚住教授側は、離れ
  るものもあるが付いているのもほぼ同数あると反論し、判決では、警察OB鑑定人が、
  不利な文字を恣意的に取り上げていないと指弾されました。


   つぎに、四男「喜久郎」の「喜」の文字です。父親の2通の遺言書には、2通りの
  字形がありました。上の部分が「士」となるものと「土」となるものです。魚住教授
  側は「一般に『士』と書く人が多いが、書道の素養のある方の中には全体のバランス
  から意図的に『土』と書く人がいて、父親はそのタイプである」と主張しました。


   裁判所はこの主張も支持し、警察OBの鑑定書でこの文字を取り上げていないのは
  恣意的に排除したものと言及されました。


   最後に「一澤帆布」の「布」の文字です。これも2通の遺言書で異なる書き方がさ
  れていて、最初の遺言書では、筆順が「ノ」から始まり2画で「一」を書いています。
  後の遺言書では、最初に「一」を書き、つぎに「ノ」を書いています。正しい筆順は
  「ノ」から始まるものです。


   これも、教養人であった父親が、自分の社名の筆順を間違って書くはずがないと述
  べた魚住教授側の主張が認められました。もっともこれは主張するまでもなく、一澤
  帆布の社名の記載は数多くあるでしょうからそこから証明したのかも知れません。


   警察式の鑑定の中心は「類似分析」です。これは、2つの文書に共通する文字を取
  り出し、外形的な特徴を比較するものです。これについては「共通する文字が仮に1
  00字あったとしたら、類似する文字が過半数あれば同一文字と判断する」(警察O
  B鑑定人)という、極めて荒っぽく幼稚なものです。


   大阪高裁の判決文では、この類似分析による警察OB3人の鑑定について、つぎの
  ように指摘しています。

  ------------------------------------------------------------------------------
  
(1)文書が偽造されたものである場合、似せて作成するため、共通点や類似点が多く存
   在したからといって直ちに真筆と認めることはできない。

  
(2)類似の文字や状態と印象づけるのに、基準が必ずしも明確でない。

  
(3)文字の選択が恣意的である。
  ------------------------------------------------------------------------------

   この判決要旨は、常々、私の主張しているところです。類似分析の問題については、
  このメルマガ第3号で詳しく説明しました。そこで、私はつぎのように説明しました。


   つまり、「類似分析は『作為筆跡に役立たない』という本質的な限界があります 
  【判決要旨
(1)】が、同時に運用面でも、このような【(2)(3)】いい加減な運用がな
  されています。科学を装った類似分析の実態は、ある特徴を指摘するにしても、その
  選択が科学的ではありませんから、所詮『勘と経験』に変わりはないわけです。むし
  ろ、科学的態度を装うだけ罪が重いというべきでしょう。


  ■近代的な運営に革新しなければ、司法の信頼は取り戻せない

   このような、多くの問題を抱えながらも、司法の場ではいまだに警察系鑑定人を重
  用しているようです。これについては、魚住教授のつぎの意見に私も賛同します。 
  「(鑑定人は)玉石混交だから、司法の場ではどうしても警察官や、そのOBを信頼す
  る傾向にある。いわば警察の『独占市場』になっていてそこに問題がある」


   「科学捜査とは名ばかりで、経験と勘に頼ったもの。科学なら客観的・論理的な方
  法にすべきだろう。筆跡鑑定の分野だけが非科学的。そうしたい勢力が多い構造が問
  題。」


   ……ということで、このような前近代的な構造に、大阪高裁の「一澤帆布遺言書事
  件判決」は、一つの風穴を開けてくれました。私は、日本の司法が、これにならって
  近代的・合理的なものに脱皮しなければ司法の信頼は取り戻せないと考えます。


   もとより、私のごとき一介の筆跡鑑定人の力でとても出来ることではありませんが、
  弁護士先生方のご認識も頂いて、少しでも前進したいものと希求しています。
 

   次回は、大阪高裁の指摘した3点のうち筆跡鑑定人に係わる問題、つまり、A類似
  の文字や状態と印象づけるのに基準が必ずしも明確でない。B文字の選択が恣意的で
  ある。この2点に関して、私なりに改善のために実行していることをご説明したいと
  思います。


                                 この項終了

 
一般社団法人・日本筆跡鑑定人協会   株式会社・日本筆跡心理学協会 
代表 筆跡鑑定人  根本 寛(ねもと ひろし)
東京都弁護士協同組合特約店
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