筆跡鑑定 メールマガジン 第14号








★☆★「知らないと損する筆跡鑑定の話」第14号 ★☆★



◆狭山事件・石川一雄さんの冤罪とは



  ■狭山事件は現在3回目再審を目指しています


  弁護士の先生方はご存知でしょうが、私は、狭山事件はとうに済んでしまった事件だと
  長年思っていました。私が筆跡に係わる前の事件ですし、最高裁で棄却決定などと聞い
  て済んでしまった事件だなと考えていたのです。


  しかし、一年ほど前の報道で、実は未解決の事件であり、最近、菅家さんなど、冤罪事件
  が解決する状況の中で、今も、再審に向けて裁判所と検察を相手に弁護団の懸命な努
  力が続いていることを知りました。


  犯人とされた石川一雄さんは、24歳で逮捕され、「殺人犯」の濡れ衣を着せられ72歳
  の今日まで闘っているのです。30年以上刑務所で暮らし、55歳で仮釈放になり狭山
  に戻りましたが、今も「殺人犯」の汚名を背負ったままです。


  有罪判決の中心には筆跡鑑定があります。私は、筆跡鑑定人です。本来なら強い関心を
  持ってそれなりの活動をすべきだったなと強く反省させられました。それが専門職の社会
  的役割というものではないかと反省したのです。


  そこで、微力ながら、何らかの応援の活動をしようと思い、今までに、有罪の鍵になっ
  た、警察系の鑑定人のでたらめな鑑定を説明し、石川一雄さんの無実と世論の応援が必
  要なことをできるだけ多くの人に知らせることを行ってきました。


  新しい鑑定書を提供する方法もあるかとも思いますが、弁護団の異議申立書などから判
  断する限り、石川さんの無罪を証明する筆跡鑑定書は既に10編ほども提出され、いずれ
  も科学的で精緻な分析がなされている様子です。


  その意味で、いまさら私が鑑定書をどうこうしても始まらないでしょうし、何より、弁護団
  から要請を受けているわけでもありません。せめて、この小論の中で私なりも視点を
  追加して少し鑑定をしてみようと思います。


  つぎの写真が、逮捕されたときのものと、昨年の石川さんのものです。この若々しい2
  4歳の青年の失われた青春や、拘留されていた30年の歳月を考えるとたまりません。


  ■狭山事件の概要


  逮捕された24歳時石川一雄さん
  石川さんは義務教育を受けていず「弁護士」の存在すら知らなかった。




  ここで、私のように、この事件についてご存じない方のために概要を説明いたします。
  ご承知の方は、ここは飛ばして先に進んでいただいて結構です。


  @事件……1963(昭和38年) 5月1日、埼玉県狭山市で、当時16歳の女子高校生が学校
  から帰宅途中に暴行を受けたうえ絞殺された。当日、午後7時40頃、自宅の玄関に脅
  迫状が届けられた。


  A逮捕……22日後の 5月23日、24歳の石川一雄さんは、友人から借りたジャンパー
  を返さなかったという別件で、寝込みを襲われる形で逮捕された。先の手錠をかけられ
  た写真がそのときのものである。石川さんはいわゆる部落民で小学校も行けずに働いて
  いた。唯一の物的証拠の脅迫状があるのだが、鑑定に係わる石川さんの学力は、小学校
  一年生程度の力しかなかった。約1か月後、執拗な取り調べや、「白状すれば10か月
  で出してやる」等の言葉に騙されて自白をする。   


  B白状……なにしろ石川さんは、弁護士の職業すら知らない人間だったので、絶対的権
  力者として行動する警察官に抵抗するのはそれが限度だった。実は、警察官に、現場に
  残された地下足袋の足跡から実兄に嫌疑が掛かっていると騙されたのだ。実兄は、部落
  民の石川家の唯一の働き手だった。逮捕されたら、一家は食べていけなくなる。「……
  ならいいです。私を犯人にしてください」しかし、裁判後これが真っ赤なウソだったこ
  とを知った石川さんは、その後は、否認を堅持し続けている。


  B裁判……1964年3月11日 第1審浦和地裁 死刑判決。 1974年10月31日 第2審東京
  高裁 無期懲役。 1977年8月9日 最高裁 口頭弁論も行わず上告棄却。1977年8月16日
  最高裁異議申し立て棄却により無期懲役確定。


  C仮出獄…1994年12月21日、55歳にして仮出獄が認められ狭山に帰る。実に24歳か
  ら55歳までの31年7カ月を監獄で暮らしたのである。現在も、無期懲役の殺人犯の汚
  名を背負ったままである。


  D現在……その後も弁護団の数回に及ぶ「特別抗告」や「再審請求」を裁判所は頑なに
  拒んでいる。これに対し、日本政府は、国連の人権規約委員会より是正勧告を受けてい
  る。弁護団は2006年に「第3次再審請求」を行い、2012年10月現在、その、裁判所、検
  察庁との3者協議が進行中である。


  ざっと説明すれば以上の通りですが、弁護団の再審請求を10年以上ほったらかしに
  しておいての棄却など、裁判所の不誠実ぶりにはあきれるばかりです。歴代の担当裁判
  官が、皆逃げ腰で対応しなかったようです。


  ■唯一の物証の「脅迫状」と石川さんの筆跡の鑑定は。


  ここで、逮捕の決め手になった重要な証拠「脅迫状」と逮捕される2日前に自宅で警察官
  に書かされた「上申書」、そして、逮捕40日後に、警察で書かされた「脅迫状の写し」を紹
  介します。「脅迫状の写し」とは、取調室で何度も練習させられた後に書いたものです。
  (赤の丸囲み文字は、後に行う鑑定のため私が付したものです)


  石川さんは、ろくに文字を書けなかったので、何回も下書きさせられました。このあたりの
  状況を考えると、直接取り調べを担当した警察官には、石川さんの無実は分かっていたと
  思われます。しかし、検察はこのような資料の提出を拒んでいます。







  ■歪んだ意図の警察の筆跡鑑定


  さて、このような文書の筆跡鑑定に当たって重要なことは、第一に「資料全体の印象」
  です。私は鑑定書の中で「資料の性格と概観所見」という項目でそれを行います。人間の
  持つ直感的感覚は鋭いもので、たとえば、人の顔なども一度見ればたいていは分別が
  できるものです。それは人相を総合的に直感的感覚で受け止めるからです。


  そういう意味で、筆跡鑑定は、最終的には一文字ずつ精密に異同を調べるものですが、
  それ以上に大切なのは全体調査なのです。この、全体の印象をおろそかにした鑑定は、
  まさに「木を見て森を見ない」鑑定であり、大きな欠陥のある鑑定といえます。


  私は、警察の三人が行った鑑定をつぶさには見ていませんが、弁護団の詳細な反論から
  読み取る限り、警察の鑑定は「全体調査」は行っていない様子です。なにより行ってい
  たら「脅迫状」と「上申書」が同一人の筆跡であるなどとは決して言えない筈です。


  ↓警察系筆跡鑑定の問題点↓
  http://www.kcon-nemoto.com/journal/kantei_journal_71.html
  警察の行った鑑定は、極めて粗雑な「類似分析」で あると推測できます。同一人という結
  論を導き出すために都合の良い文字を取り上げたに過ぎないでしょう。見てもいないの
  にどうしてそこまで言えるのかと思われるかも しれませんが、現科捜研の警官や、科捜
  研OBの鑑定書と何度か対峙してきた経験から分かるのです。


  ■全体調査からは別人の筆跡であることは明白


  そこで、まず全体調査を実行してみます。つぎが3枚の資料の拡大図です。全体調査と
  いいながら一部で申し訳ありませんが、紙面の都合で一部にしました。しかし、それで
  も全体の印象は十分にご理解いただけると思います。
  まず、脅迫状は、文字全体として石川さんの筆跡よりも数段流暢です。筆勢があり、 
  「札」の木偏や「な」の字の第1、2画の環状の続け書きの滑らかさなど、たどたどし
  く一字一字なぞるように書いている石川さんの筆跡と同一人の筆跡と思う人はいないで
  しょう。


  「脅迫状の写し」は、逮捕40日後に、警察で何度も練習させられ書いたものだけに、
  上申書よりは上達していますが、それでも、脅迫状の持つ滑らかさやタッチとは比較に
  ならないほど稚拙です。一般に、字のうまい者が下手な者の筆跡を模倣することは出来
  ますが、その逆はあり得ないのです。下手な者には、滑らかな運筆やバランスの良い字
  は書けないからです。







                                          この項終わり


          次回は、この続きで、文字一つ一つの鑑定の様子をお伝えします。



 
一般社団法人・日本筆跡鑑定人協会   株式会社・日本筆跡心理学協会 
代表 筆跡鑑定人  根本 寛(ねもと ひろし)
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